1951-08-10 第10回国会 衆議院 農林委員会 第51号
この地帯は今日まで米一本に頼つて来ておりますので、米価の帰趨と密接なる関係を持つているわけでありますが、国民経済の立場から割安な決定を免れず、従つて農地改革後の耕地の零細化と相まつて、農家経済は逐次窮迫に向いつつありまして、現在では次、三男問題等、社会問題としても現われて来ているのであります。
この地帯は今日まで米一本に頼つて来ておりますので、米価の帰趨と密接なる関係を持つているわけでありますが、国民経済の立場から割安な決定を免れず、従つて農地改革後の耕地の零細化と相まつて、農家経済は逐次窮迫に向いつつありまして、現在では次、三男問題等、社会問題としても現われて来ているのであります。
従つて農地改革であるとか、或いは又食糧供出或いは又農業改良と、こういつたいろいろな目的が一つの大きな一丸となつて一つの委員会をこしらえて村作りをやつて行くということを私どもが期待しておりまするが故に、あえて従来の何か農地委員会の延長でもなければ、或いは又農業調整委員会の延長でもあつてはならない。
従つて農地改革の結果において自作農創定ということは非常に結構でありまして、これは曾つてからの日本の政府の政策である。併しなかなかそれが徹底してできなかつたことができたことは結構でありますが、その結果は零細化された小さな元の小作の形のままで土地を得たというだけであります。これでは実際の農家の経営は安定せず、又日本の必要な食糧の生産の上において必ずしもよい結果は生まないと思う。
従つて農地改革を全面的にやらなければならぬところのその陣容、あるいは事務量というものは、これはもちろん地帯的には違います。農地改革の非常に遅れている町村においては、なおたくさんあるということはございますが、全体的に考えますと非常に少くなつてしまう。
従つて農地改革の結果、せつかく自作農創設をされたのでありますけれども、わが三重県におきましては断行されたその次の年度の年度末において統計をとつてみますと、田畑は平均して六反六畝といわれるのでありますが、今日の統計から申しますと、六反がややもすると危うくなつて来たのであります。